いじめ。 自殺。
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いじめは、なくならない。 絶対に。 子供は、無垢に残酷だから。
自分自身、(今の陰湿なものとは比較にならないが)いじめの対象になったこともあったし、ある意味では今のいじめと根は同じような気がするような「集団としての個人のいじめ風潮」に荷担していたこともある。 人として恥ずかしいと今では思うが、その頃はそんなこと考えもしなかった。 軽かった。
ここ数日報道されていること、多分「いじめる側」にはそんなに深い理由はなかったのだろう。 ただ、みんながいじめるから自分も。 それそのものが歪んだ愉しみであったのかもしれないし、「そちら側」に立たなければ自分が「こちら側」に立たされる危機感があったのかも知れない。 あるいは僕がそうであったように深くは何も考えず。
でも、いじめに遭う子供にとってはそれは絶対の孤独であり絶望だ。
「いじめを認識していなかった」と教育者はよく言うが「気づこうとしなかった」のであり、また子供はいじめられているからこそ親兄弟にも装弾できずたった独りで抱え込み、そしてやっとものが言えるのは残された遺書でだけだ。 誰にも言えないのだ。
そうした根深さを、教育に携わる組織や人間は本当に理解しているのだろうか。 いや、理解しようとしているのだろうか。
いわんや、自らいじめの率先に立ったなど、教育者として、というよりも人として許されない人間が教壇に立つ、そんなことが教育システムとしても学校という社会システムとしても許されるだろうか。
僕は、そんな悪意的な教師のいじめを受けたことはないけれど、結果として今でも心に傷を残しているような立場に立たされたことは幾度もある。 今にして思えば「何と心ない」と思うが、その時は絶対的に頼る(頼らざるを得ない)指導者から突き放されたり吊し上げられたりしたことは幼い心として「僕、どうすればいいの?」と途方にも暮れた。 大人であればある程度「この人は、こんな人」で割り切ることもできたのだろうが子供にそんな昇華を求めることはどだい無理である。
そういうことがあって、冒頭にも述べた通り「いじめはなくならない」と思うし、そしてこれはどこかで言っておきたかったのだが僕にとって「世界で一番信頼できない人種」は教師なのだ。
世渡りの方便として「先生」と呼称することはあるかも知れないが、僕は教師であると言うだけでどうしても色眼鏡というフィルターを掛けてその人を見てしまう。 もちろん、世の中には素晴らしい教育者は数多いるのだろうけれど来し方そうであった僕はどうしても教師という人種を無条件に信頼することはできない。
そういう、今の教育社会やプログラムに関する問題と自分の経験をない交ぜにして書いてしまったが、本当に問題なのは今この瞬間も「今日こそ、死のう。」と思っている子どもたち~いや、子どもたちだけではないな~が大勢いるという確かな現実で、そしてそれをどうやったら死なせないで済むのか、「生きていてよかった。」と思って貰えるのか、それをこそ真剣に考えて行動しなければいけないと言うことだと思う。
それを、保身を是として捏造した報告をするなど、最早人間の風上に置けない。
■2年生自殺の三輪中、いじめ7─8件を「0件」と報告(読売新聞 - 10月16日 22:02)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061016it14.htm
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