【ポタリング】相模野基線を訪ねる。
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【コース】
自宅-行幸道路境橋セブンイレブン(待ち合わせ)-鹿島神社-町田駅南-若松二丁目-大沼-木もれびの森内散策-一等三角点「下溝村」-国立相模原病院-相模が丘五丁目-四等三角点「基線中間点」-相模が丘二丁目~四丁目-ひばりヶ丘一丁目-一等三角点「座間村」-小田急南林間駅-大和市下鶴間ふるさと館-グランベリーモール-つくし野-ジョリーパスタ成瀬店-自宅
【データ】
自 転 車 :RITEWAY JAPAN "TIDY"
同 行 者 :たつS
タ イ ヤ:KENDA 50/100-8 20B (12 1/2 x 2 1/4)
ホイール :F= JALCO 6061 ALLOY 12" x 203 / R= XRIMS Z100 + SHIMANO INTER3 HUB
ギ ア:52x13(Low(x0.733),Nid(x1),Top(x1.36))
走行時間:2:11:37
走行距離:26.31 km
平均速度:11.9 km/h
最高速度:42.4 km/h
獲得標高:621 m
消費熱量:1681 kcal
天 候:快晴
平均気温:30 度C
体 重:79.4 kg
体脂肪率:29.2 %
【テキスト】
明治15年、僕の自宅から西方約6kmをほぼ中心として、北北西から南南東の方向に、長さ5209.9697mの直線が引かれた。この直線は「相模野基線」と称されており、今日、あなたが、僕が日常何の気なしに使っている日本国地図を、明治政府が初めて三角測量で作った時の文字通り基となる線である。
より具体的に言えば二つの一等三角点~当時の神奈川縣高座郡下溝村に設置された「下溝村(相模野基線北端点)」と同高座郡座間入谷村~に設置された「座間村(相模野基線南端点)」を結んだものだ。もちろん実際に地面に線が引いてあるわけではないがこれ無しに我が国の近代地図はスタートしなかったと言っていいほどの重要な線分なのだ。
とは言え、自転車おでかけのモチベーション作りに三角点を訪ねるようになってしばらく経つというのに(これは友人のInagaki,Mさんの影響が大きい)、その存在を知ったのはつい二月と前ではなかった事は恥じ入るばかりであるのだが、何故知ったかというと、3月に仮眠症、引いては睡眠時無呼吸症候群を疑われて北里大学病院に罹った時、待ち時間で暇をもてあましていたのでハンディGPSに入力されていた近隣ポイントを適当に巡って行き着いてみたらそこが北端点だったという次第で、そこで碑文を読んだり帰ってからwebを閲覧してみてその重要性を知ったわけである。ちなみにこの北端点は相模原の市史跡となっている。
さて北端があればもちろん南端もあるわけで、さらには測定精度向上のための基線中間点も存在する。せっかく近所にこんな近代地勢史の遺物(しかも単なる遺物ではなく、現代もその役割は厳然と生きているのだ)があるならば、この線分を辿ってみたいと思うのは当然の理だろう。
しかしながらあまりに身近すぎ、なおかつサイクリングとしては距離も中途半端なのでなかなかできずにいた。ところが昨日の三浦半島一周で受けた足のダメージがなかなかキツく、せっかく元々の予報に反して晴れ上がったというのにちょっとロングライドはキツいなという塩梅で、ならば疲労抜きを兼ねて相模野基線ポタリングをしてしまえとなったため今回の基線巡りが実現した。
とはいうものの、レーサーを使えばあっという間に終わりそうだが、それで独りで行くのもなにか味気ない。なので、朝も早からご近所の友人「たつS」さんをskypeで呼び出し強制的に参加させる事にした。
氏は元自転車メーカーの社員であり、これも元が付くのだが都内で有名なショップで長く働いた経験も持っていたりするので自転車は5台くらい所有しているのだが、何故か10年くらい前に自宅を新築した際それらを自室のクローゼットにしまい込んですっかり乗らなくなってしまっていた。ところが最近Newtonという14インチの小径フォールディング車を手に入れたところ、昔取った杵柄に火が入ったのかカスタマイズに明け暮れるようになった。
で、「今すぐ動く」のはこれのみという。僕は僕でレーサーで行くつもりは無かったのでMTBかやはりフォールディングなTIDYが選択肢なのだが、MTBはブレーキブラケットのパーツに最近破損が見つかり只今部品入荷待ち・不動状態なので必然的にTIDYになる。ということで期せずしてミニベロポタリング隊の出来上がり。
12時くらいに、境川と行幸道路が交わるところにある境橋(こう書かないとこの川には同じ名前の橋がいくつもある)傍のセブンイレブンで待ち合わせ。メッセンジャーっぽいルーズフィットなジャージを上衣にしているとは言えバイクパンツ・ヘルメット・グラブという出で立ちな僕に対して、遅れて現れた氏は思いっきり「近所のコンビニに買い物に行ってきます」的なラフなスタイル。凸凹コンビ。
自転車乗りに関してはかなり長いブランクのある氏は「付いていけなくなったら、遅れるだけだから」と言っていたがルートマップは渡したとは言えピンポイント的にはGPS無しにはなかなか行き着けないところでもあるので、努めてゆっくりなペースを心がける。…にしても平地で13km/h巡航くらいか。もちろんInter3で三段変速になっているTIDYのギアはLOWのまま。なんかこんなにのんびり走った事無いなあ。でも普段見落としてしまいそうになる周囲の風景が目に新鮮である。
R16を横断して昭和橋に抜ける県道52号線を西進して右手に樹齢300余年の大ケヤキ群のある大沼交差点を過ぎると、この辺には多い「○○林間」という地名に相応しい森が左右に広がる。もっとも宅地化の余波を受け、その名残は本当にこの一角だけになり、尚今でも都市計画という名の下に森は薄く鳴り続けているのは誠に心寒い物がある。ここの森は「木もれびの森」と名が付いており、近隣住民のいい散歩コースとなっている。街道沿いに北端点を目指すのならもっと先を左折するのだが、せっかくなので道的にはショートカットとなる森林散策と洒落込む。本来ならこうした木立の下は下草や腐葉土、木の根等でMTBでないとつらいのだが縦横の踏み分け道は硬く踏みしめられているためミニベロでも何の苦も無い。とても暑い日だったのだがここだけは別世界で氏も「なんか、ランドナーの世界だねえ。」と喜んでくれた。
森林を抜けて市街地に出るとすぐ相模原市麻溝台4丁目の基線北端点。ここは先に書いた通り市の史跡であることもあって一角が小スペースとなっており歴史の重みを感じさせる。
さて、ここから基線をそのままトレース…出来ればいいがもちろんのこと道はそういう風に付いていないのでGPSに設定したルートに従ってのんびり東南方向へ走る。この辺りは、どうも道の付き方が変で何十年も近隣に暮らしている割には全然地図が頭に入っていないので、GPSによるナビゲートは心強い。途中、国立相模原病院や米軍ハウスを横に見て進む。
次に目指すは相模が丘2丁目の基線中間点。行幸道路、小田急線を渡りしばらく行ってこの辺かなー?と思いキョロキョロしたらいきなり目の前に碑の看板が立っていた。
それによると「基点位置右へ20M」であったのだがGPSに頼りすぎて妙に明後日な方向を探していたらいきなり氏が「あったー!」と叫ぶ。行ってみると、事前に調べた通り標石は路上のマンホール内。
どのサイトを見てもこのマンホールを開けた写真が載っているのだが、メンテナンスホールに指を突っ込んで持ち上げようとしてもびくともしない。普段ならこうした時のために小さなバールを持ち歩いているのだが生憎忘れてきた。しかし、もしそれがあっても何の用もなさなかっただろう事は明白だ。みんなどうやって開けたんだろう?悔しいのでGPSをマンホールの上に置いた写真を撮ってお茶を濁す。
さて、残る南端点は座間市内である。住宅地から一瞬座間街道に出、カレスト座間(旧日産様工場)の先を右折してさらに宅地を南下。GPSによるともうあと100mも無いと言うところでちょっとした通りに出た。すると、目印とされる医院のビルが目の前。実はこの南端点はこの医院の敷地内にあるのだ。そうは言っても小径に沿う金塀のすぐ内側にあるはずだからと見て取ると、その通りにあった。 標石も、敷地外から触れるほどのところにあるし、 脇には碑文も建っている。
とはいえ私有地内なので、もしこの文章を見て基線巡りをされる方がいらっしゃるなら、法と最低限のマナーは守って頂きたい。
さて、ここまでで自宅から実走距離で約14km。とりあえず用は達したのだが、事前に組んできたルートではこの後グランベリーモールに行って(町田の)高尾山に行く事にしていた。ここには「長津田村」という三角点があり、基線から起こされた三角測量の第一次拡張点でもある。僕は以前行っているが氏は獄近所に住んでいるというに訪れた事はないと言うからここも行っておきたいポイントだ。その前にまずグランベリーモールを目指して東進。すると小田急南林間駅に、文字通り突き当たる。右に迂回して踏切を渡り更に進む。大体どの辺を走っているのか、ここまで来れば見当は付くのだが細かいところは分からない。と、Y字路を合流したら左手に古めかしい黒塀と屋敷が。あれぇ?なんか見覚えあるな、ここ。坂を下りつつ気が付いた。この道は、今から20余年前大学の厚木キャンパスにクルマで行くのに、まだR246バイパスが全通してなかった時に如何に鶴間駅の渋滞を回避するか血道を上げて開拓した裏道ではないか。下りきると、信号のある四つ角。こないだたまたまここを車で通ってあれっ?と思っていたのだが、
その角に真新しい江戸時代の建物(言い方、変だな)が出来ているのを見つけていたのだ。そこで小休止。碑文を読むと江戸期までこの辺りには庶民へ法令を徹底するための「高札」を掲げた「高札場」があったらしくどうやらこの立派な建物と「告 云々かんぬん」という太政官令が掲示された 東屋はその
復元らしい。
さらに周囲を見て歩いたら、ここは「大和市下鶴間ふるさと館」という施設になっているようだ。入場無料のようなので今度訪れてみることにする。
ところで今いるここは住所で言うと「乙三号」という。地図で見るとこの近辺はみな「乙○号」であり、確認できたところ八号まである。住居表示改正された最近の住所は置いといて、古い地名にしてもなんか妙な響きだ。一体謂われはどこから来ているのだろう。そんな事を考えていたら氏が「ここ(今来た道)って、旧R246なんですよねー。」と呟く。え?あれ?そうなの?それは知らなかった。更に言うなら大山街道だ、と。
近辺にある大山阿夫利神社は大山詣でと縁が深いらしい。なるほど。言われてみれば道の付き方からしてそれも合点がいくところだ。大山街道はかなり後代の成立だが、最近ハマりだしている鎌倉古道との位置関係もあるし、これはひとつこの辺もフィールドワークしてみよう。それにしてもウチ近辺の鎌倉古道は、ごく一部の例外を除いて道幅以外の家並み等はほとんどここ20年くらいで建て替わってしまい風情もへったくれもないがこの旧大山街道はよく雰囲気を遺しているのが嬉しい。
小休止を終え、さらに直進すると観音寺前の交差点に出る。ここも鎌倉時代からの縁起がある寺らしい。すぐ先で境川サイクリングロードを左折して東京女学館短大を右に見て横浜水道が境川を跨ぐパイプラインの手前を右折して鶴間公園を回り込むようにグランベリーモールに着き、モンベルクラブを冷やかしてお茶。
「高尾山、どうする?」と聞いたら「いや、またの機会に」と返ってきた。とりあえず今日ここで僕が買いたい物は何一つ無かったのだが(持ち帰りの手間とかもあるし)、氏はNewton用にワイヤーロックを購入。小一時間ほど過ごして、デジカメのデータをもらうため氏の自宅へ回り、上がり込んでうだうだとやっていたら夕暮れになってきたし腹も減ったので辞去、あまり飲食店には恵まれない道すがらにあるパスタ屋でカルボナーラを食して家路に就いた。
それにしても運動したという実感は全くないのだけれども、それでも26km走って1700kcalほどを消費していた。たらたら2時間ポタリングというのも、案外馬鹿に出来ないものだ。
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首が回らないザーンス。





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