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2007年5月 8日 (火)

君死に給う事無かれ。

 さっき遅い朝食を採りに食卓に行ったらラジオは大沢悠里の番組で、毒蝮三太夫がスーパーマーケットで喋るコーナーだった。斜めに聞いていたのだが、どうも誰かが亡くなったらしい。ただ途中からなのでよく分からない。ただ、「ウルトラセブンが…」というような会話が聞こえる。なんだろう?え?まさか、警備隊の誰か?

 そのまま聞き続けても今ひとつ分からない。ふと気づいて新聞の訃報欄を捲った。ソガ隊員の顔が、そこにあった。なんだか頭をハンマーで殴られたような気がした。
 紙面には死因等は出ておらず、告別式の日取りのみ。その間流れて来るラジオの会話に耳をそばだてていると、「滝壺が」「靴がそろえてあった」…。
 二重にショックだった。それが「なんで」かということには二人とも思い当たる節はないようだったが、自殺…。

 モロボシダンを除く男性警備隊員の中ではソガが一番好きだった。飄々としていて、おとぼけで。初期のシリーズ中最も「人間の業」を描いたとも言えるウルトラセブンは、ともすれば暗い雰囲気になりがちだった。そこに一服の清涼剤のように在ったのが彼だったような気がする。もちろんそれは演じている架空のキャラクターに与えられた設定ではあるのだが、その彼が…。
 
「癌になったり大怪我をしたりして、たとえどんなに苦しくても、人間は生まれてきた以上命ある限り生き続けなきゃいけない責務を負っている。」

 毒蝮が言った。
 その通りだと思う。我が身を省みて殊に。
 その理が見えなくなるような事は、ある。信念を持てなくなる瞬間も。でも、それでもこういう想いが頭の片隅にあるからなんとか生きていける。でなけりゃ俺なんてとっくにどこぞでくたばってるに違いない。
 フルハシ隊員として阿知波信介と共演し彼が俳優を引退しても朋友として長く付き合ってきた毒蝮の悲しみと、何も言わずに逝ってしまった親友への怒りにも似た想いが痛いほど伝わってきた。

 生きてさえいりゃ、笑える日も来る。死んじまったら何もかもおしまいだ。
 でも、一つだけ言い足したい。
 本人は、そこでおしまいになるかも知れないが、遺された者はどうなる?
 最も愛する人を助けてあげる事すら出来なかった事は、生涯血を流し続ける傷になるのだ。
 だから今、この拙文に出会った方がもしも絶望の淵にいるとしたら、ひょいと身を投げてしまうその前に、どうかお願いだからその事をちょっとでも思い起こして欲しい。
 生き続けるのは、時としてより辛い選択である事は骨の髄から知っている。けれども。
 死ぬのは今日じゃなくても明日出来る。夜が明ければ明日はまたやってくる。でも今日死んでしまえば明日は二度と来ない。
 本人にも、遺されし者にも。

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 既に死を決意してしまったとしたら、実行する前に、誰かに話を聞いて貰って下さい。最後のSOSを発信して下さい。自分はたった一人だと思いこんでいるかも知れませんが、そんな事はありません。あなたを大切に思ってくれている人が、必ずいるはずです。ただ、今はそれが見えていないだけ。
 最後の力を振りしぼって、助けを求めて下さい。
 もしも誰一人思い浮かばなければ、「いのちの電話」でもいい。
 自分一人だけで結論を出さないで下さい。

 「あの時死んじゃわなくてよかった」と思える日が、いつかきっと来ます。

全国いのちの電話のご紹介
http://www.find-j.jp/link.html

ソガ隊員役 阿知波さん自殺か
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=207398&media_id=2

時事ドットコム:元俳優阿知波さん、自殺か=「ウルトラセブン」隊員役-鹿児島
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007050700790

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2007年5月 5日 (土)

【ポタリング】相模野基線を訪ねる。

/* またまた長文&mixiマルチポストですまぬm( )m */

【コース】
自宅-行幸道路境橋セブンイレブン(待ち合わせ)-鹿島神社-町田駅南-若松二丁目-大沼-木もれびの森内散策-一等三角点「下溝村」-国立相模原病院-相模が丘五丁目-四等三角点「基線中間点」-相模が丘二丁目~四丁目-ひばりヶ丘一丁目-一等三角点「座間村」-小田急南林間駅-大和市下鶴間ふるさと館-グランベリーモール-つくし野-ジョリーパスタ成瀬店-自宅

【データ】
自 転 車 :RITEWAY JAPAN "TIDY"
同 行 者 :たつS
タ イ ヤ:KENDA 50/100-8 20B (12 1/2 x 2 1/4)
ホイール :F= JALCO 6061 ALLOY 12" x 203 / R= XRIMS Z100 + SHIMANO INTER3 HUB
ギ    ア:52x13(Low(x0.733),Nid(x1),Top(x1.36))

走行時間:2:11:37
走行距離:26.31 km
平均速度:11.9 km/h
最高速度:42.4 km/h
獲得標高:621 m
消費熱量:1681 kcal
天    候:快晴
平均気温:30 度C
体    重:79.4 kg
体脂肪率:29.2 %

【テキスト】
 明治15年、僕の自宅から西方約6kmをほぼ中心として、北北西から南南東の方向に、長さ5209.9697mの直線が引かれた。この直線は「相模野基線」と称されており、今日、あなたが、僕が日常何の気なしに使っている日本国地図を、明治政府が初めて三角測量で作った時の文字通り基となる線である。
 より具体的に言えば二つの一等三角点~当時の神奈川縣高座郡下溝村に設置された「下溝村(相模野基線北端点)」と同高座郡座間入谷村~に設置された「座間村(相模野基線南端点)」を結んだものだ。もちろん実際に地面に線が引いてあるわけではないがこれ無しに我が国の近代地図はスタートしなかったと言っていいほどの重要な線分なのだ。
 とは言え、自転車おでかけのモチベーション作りに三角点を訪ねるようになってしばらく経つというのに(これは友人のInagaki,Mさんの影響が大きい)、その存在を知ったのはつい二月と前ではなかった事は恥じ入るばかりであるのだが、何故知ったかというと、3月に仮眠症、引いては睡眠時無呼吸症候群を疑われて北里大学病院に罹った時、待ち時間で暇をもてあましていたのでハンディGPSに入力されていた近隣ポイントを適当に巡って行き着いてみたらそこが北端点だったという次第で、そこで碑文を読んだり帰ってからwebを閲覧してみてその重要性を知ったわけである。ちなみにこの北端点は相模原の市史跡となっている。
 さて北端があればもちろん南端もあるわけで、さらには測定精度向上のための基線中間点も存在する。せっかく近所にこんな近代地勢史の遺物(しかも単なる遺物ではなく、現代もその役割は厳然と生きているのだ)があるならば、この線分を辿ってみたいと思うのは当然の理だろう。
 しかしながらあまりに身近すぎ、なおかつサイクリングとしては距離も中途半端なのでなかなかできずにいた。ところが昨日の三浦半島一周で受けた足のダメージがなかなかキツく、せっかく元々の予報に反して晴れ上がったというのにちょっとロングライドはキツいなという塩梅で、ならば疲労抜きを兼ねて相模野基線ポタリングをしてしまえとなったため今回の基線巡りが実現した。
 とはいうものの、レーサーを使えばあっという間に終わりそうだが、それで独りで行くのもなにか味気ない。なので、朝も早からご近所の友人「たつS」さんをskypeで呼び出し強制的に参加させる事にした。
 氏は元自転車メーカーの社員であり、これも元が付くのだが都内で有名なショップで長く働いた経験も持っていたりするので自転車は5台くらい所有しているのだが、何故か10年くらい前に自宅を新築した際それらを自室のクローゼットにしまい込んですっかり乗らなくなってしまっていた。ところが最近Newtonという14インチの小径フォールディング車を手に入れたところ、昔取った杵柄に火が入ったのかカスタマイズに明け暮れるようになった。
 で、「今すぐ動く」のはこれのみという。僕は僕でレーサーで行くつもりは無かったのでMTBかやはりフォールディングなTIDYが選択肢なのだが、MTBはブレーキブラケットのパーツに最近破損が見つかり只今部品入荷待ち・不動状態なので必然的にTIDYになる。ということで期せずしてミニベロポタリング隊の出来上がり。
 12時くらいに、境川と行幸道路が交わるところにある境橋(こう書かないとこの川には同じ名前の橋がいくつもある)傍のセブンイレブンで待ち合わせ。メッセンジャーっぽいルーズフィットなジャージを上衣にしているとは言えバイクパンツ・ヘルメット・グラブという出で立ちな僕に対して、遅れて現れた氏は思いっきり「近所のコンビニに買い物に行ってきます」的なラフなスタイル。凸凹コンビ。
 自転車乗りに関してはかなり長いブランクのある氏は「付いていけなくなったら、遅れるだけだから」と言っていたがルートマップは渡したとは言えピンポイント的にはGPS無しにはなかなか行き着けないところでもあるので、努めてゆっくりなペースを心がける。…にしても平地で13km/h巡航くらいか。もちろんInter3で三段変速になっているTIDYのギアはLOWのまま。なんかこんなにのんびり走った事無いなあ。でも普段見落としてしまいそうになる周囲の風景が目に新鮮である。
R0013089  R16を横断して昭和橋に抜ける県道52号線を西進して右手に樹齢300余年の大ケヤキ群のある大沼交差点を過ぎると、この辺には多い「○○林間」という地名に相応しい森が左右に広がる。もっとも宅地化の余波を受け、その名残は本当にこの一角だけになり、尚今でも都市計画という名の下に森は薄く鳴り続けているのは誠に心寒い物がある。ここの森は「木もれびの森」と名が付いており、近隣住民のいい散歩コースとなっている。街道沿いに北端点を目指すのならもっと先を左折するのだが、せっかくなので道的にはショートカットとなる森林散策と洒落込む。本来ならこうした木立の下は下草や腐葉土、木の根等でMTBでないとつらいのだが縦横の踏み分け道は硬く踏みしめられているためミニベロでも何の苦も無い。とても暑い日だったのだがここだけは別世界で氏も「なんか、ランドナーの世界だねえ。」と喜んでくれた。

 森林を抜けて市街地に出るとすぐ相模原市麻溝台4丁目の基線北端点。ここは先に書いた通り市の史跡であることもあって一角が小スペースとなっており歴史の重みを感じさせる。

R0013109 R0013108 Rimg0705
R0013110 R0013112 R0013113 R0013115

 さて、ここから基線をそのままトレース…出来ればいいがもちろんのこと道はそういう風に付いていないのでGPSに設定したルートに従ってのんびり東南方向へ走る。この辺りは、どうも道の付き方が変で何十年も近隣に暮らしている割には全然地図が頭に入っていないので、GPSによるナビゲートは心強い。途中、国立相模原病院や米軍ハウスを横に見て進む。
 次に目指すは相模が丘2丁目の基線中間点。行幸道路、小田急線を渡りしばらく行ってこの辺かなー?と思いキョロキョロしたらいきなり目の前に碑の看板が立っていた。
Rimg0713_1 Rimg0719_2    それによると「基点位置右へ20M」であったのだがGPSに頼りすぎて妙に明後日な方向を探していたらいきなり氏が「あったー!」と叫ぶ。行ってみると、事前に調べた通り標石は路上のマンホール内。Rimg0717  どのサイトを見てもこのマンホールを開けた写真が載っているのだが、メンテナンスホールに指を突っ込んで持ち上げようとしてもびくともしない。普段ならこうした時のために小さなバールを持ち歩いているのだが生憎忘れてきた。しかし、もしそれがあっても何の用もなさなかっただろう事は明白だ。みんなどうやって開けたんだろう?悔しいのでGPSをマンホールの上に置いた写真を撮ってお茶を濁す。
 さて、残る南端点は座間市内である。住宅地から一瞬座間街道に出、カレスト座間(旧日産様工場)の先を右折してさらに宅地を南下。GPSによるともうあと100mも無いと言うところでちょっとした通りに出た。すると、目印とされる医院のビルが目の前。実はこの南端点はこの医院の敷地内にあるのだ。そうは言っても小径に沿う金塀のすぐ内側にあるはずだからと見て取ると、その通りにあった。 標石も、敷地外から触れるほどのところにあるし、 脇には碑文も建っている。

Rimg0722_1 Rimg0724_2

とはいえ私有地内なので、もしこの文章を見て基線巡りをされる方がいらっしゃるなら、法と最低限のマナーは守って頂きたい。
 さて、ここまでで自宅から実走距離で約14km。とりあえず用は達したのだが、事前に組んできたルートではこの後グランベリーモールに行って(町田の)高尾山に行く事にしていた。ここには「長津田村」という三角点があり、基線から起こされた三角測量の第一次拡張点でもある。僕は以前行っているが氏は獄近所に住んでいるというに訪れた事はないと言うからここも行っておきたいポイントだ。その前にまずグランベリーモールを目指して東進。すると小田急南林間駅に、文字通り突き当たる。右に迂回して踏切を渡り更に進む。大体どの辺を走っているのか、ここまで来れば見当は付くのだが細かいところは分からない。と、Y字路を合流したら左手に古めかしい黒塀と屋敷が。あれぇ?なんか見覚えあるな、ここ。坂を下りつつ気が付いた。この道は、今から20余年前大学の厚木キャンパスにクルマで行くのに、まだR246バイパスが全通してなかった時に如何に鶴間駅の渋滞を回避するか血道を上げて開拓した裏道ではないか。下りきると、信号のある四つ角。こないだたまたまここを車で通ってあれっ?と思っていたのだが、Rimg0735_1 その角に真新しい江戸時代の建物(言い方、変だな)が出来ているのを見つけていたのだ。そこで小休止。碑文を読むと江戸期までこの辺りには庶民へ法令を徹底するための「高札」を掲げた「高札場」があったらしくどうやらこの立派な建物と「告 云々かんぬん」という太政官令が掲示された 東屋はその

復元らしい。

Rimg0733 Rimg0731さらに周囲を見て歩いたら、ここは「大和市下鶴間ふるさと館」という施設になっているようだ。入場無料のようなので今度訪れてみることにする。
 ところで今いるここは住所で言うと「乙三号」という。地図で見るとこの近辺はみな「乙○号」であり、確認できたところ八号まである。住居表示改正された最近の住所は置いといて、古い地名にしてもなんか妙な響きだ。一体謂われはどこから来ているのだろう。そんな事を考えていたら氏が「ここ(今来た道)って、旧R246なんですよねー。」と呟く。え?あれ?そうなの?それは知らなかった。更に言うなら大山街道だ、と。Rimg0741 近辺にある大山阿夫利神社は大山詣でと縁が深いらしい。なるほど。言われてみれば道の付き方からしてそれも合点がいくところだ。大山街道はかなり後代の成立だが、最近ハマりだしている鎌倉古道との位置関係もあるし、これはひとつこの辺もフィールドワークしてみよう。それにしてもウチ近辺の鎌倉古道は、ごく一部の例外を除いて道幅以外の家並み等はほとんどここ20年くらいで建て替わってしまい風情もへったくれもないがこの旧大山街道はよく雰囲気を遺しているのが嬉しい。
 小休止を終え、さらに直進すると観音寺前の交差点に出る。ここも鎌倉時代からの縁起がある寺らしい。すぐ先で境川サイクリングロードを左折して東京女学館短大を右に見て横浜水道が境川を跨ぐパイプラインの手前を右折して鶴間公園を回り込むようにグランベリーモールに着き、モンベルクラブを冷やかしてお茶。
 「高尾山、どうする?」と聞いたら「いや、またの機会に」と返ってきた。とりあえず今日ここで僕が買いたい物は何一つ無かったのだが(持ち帰りの手間とかもあるし)、氏はNewton用にワイヤーロックを購入。小一時間ほど過ごして、デジカメのデータをもらうため氏の自宅へ回り、上がり込んでうだうだとやっていたら夕暮れになってきたし腹も減ったので辞去、あまり飲食店には恵まれない道すがらにあるパスタ屋でカルボナーラを食して家路に就いた。
 それにしても運動したという実感は全くないのだけれども、それでも26km走って1700kcalほどを消費していた。たらたら2時間ポタリングというのも、案外馬鹿に出来ないものだ。

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【ロード】三浦半島一周(ちょいズル)

/* 久々なもんで。超長文すみませぬm( )m */
/* おまけにmixiとのダブるポストです… */

【コース】三浦半島一周(ほぼ時計回り)

【都140(成瀬街道)】-貝の坂-【横浜上麻生道路】-西神奈川-【R1】-青木橋-【R15】-高島町-【R16】-横須賀-救急医療センター前-【R16】-走水-観音崎-かもめ団地-浦賀-夫婦橋-【県212】-開国橋-ペリー公園-野比-【R134】-三浦海岸-引橋-【県26】-城ヶ島入口-城ヶ島-城ヶ島入口-引橋-【R134】-三崎口-立石公園-葉山御用邸-【県207】-森戸-渚橋-【R134】-滑川-【県21(若宮大路)】-下馬-【県311】-長谷観音前-【県32】-大仏坂-南藤沢16辺り-【裏道】-遊行寺門前-御殿橋-【境川CR】-高鎌橋-新道大橋-大和橋-観音寺前-境橋-【県51(行幸道路)】-【都140(成瀬街道)】

【データ】
自 転 車 :RIDLEY DAMOCLES
タ イ ヤ:Michelin Pro 2 Race 700x23C
ホイール :MAVIC KSYRIUM SL
ギ    ア:50/34T 12-25T
走行時間: 7:41:27
走行距離:152.0 km
平均速度:20.3 km/h
最高速度:48.5 km/h
獲得標高:1799 m
消費熱量:4596 kcal
天    候:晴
平均気温:24 度C
体    重:78.6 kg
体脂肪率:30.7 % (乗車前は26.1%だったのに…。何故体重1.2kg減って体脂肪が3.3kg増えるんだ…。)

 当初は三浦半島の、特に剱埼あたりに多くある三角点を巡ろうと家を出たのであった。数えて15個。この前提からして無理がありありだと気づいたのは道程半ば。
 晴天の午前はとても気持ちが良く横浜~横須賀といい感じで進んだのだが、ロングも絶えて久しいというのに横須賀までの約50kmを、最大心拍の85%近辺で走るというのは明らかにオーバーペースだった。観音崎への緩い登りでいきなり足が売り切れている事に気が付いた。力が入らないだけならまだしも太腿が差し込むように痙攣しだし、途中で止まってマッサージをする羽目になった。この痙攣は後々まで尾を引く事になる。

R0013916  走水から観音崎にかけては、家族連れが潮干狩りとバーベキューの嵐。目指す最初の三角点は観音崎灯台の傍にあるのだが、面倒くさがって「点の記」をダウンロードして印刷するという手間を惜しんだため、急坂の山中で指針がうろうろするGPSを見ながら右往左往。明治17年竣工の北門第二砲台跡の近辺にあるようなのだがどうにもアプローチが分からない。R0013920 散々迷っていたら、立ち入り禁止の海上自衛隊観音崎警備所の門に出た。どうやっても手元の情報だけでは行き着けそうにないので諦める。ここで1時間もロス。ちなみに帰って改めて点の記を落としてみたら、どうやら三角点は施設内にあるようで、これでは場所が分かっても駄目だったろう。

 そのまま岬を回って浦賀、久里浜。ここにも三角点がある。市街地だけに場所はすぐ分かった…のだが、閉鎖された会社の寮のてっぺんにあるくさい。これも諦め。
 さて、久里浜港から東電横須賀火力発電所を横目に緩い峠を、足をピキピキ言わせながら越えるとそこは三浦海岸。左手に海を見ながら快適なクルーズが楽しめると思いきや猛烈な南西の向かい風。このあたりはウインドサーフィンが盛んなようなのだが、波濤を越えてビュンビュン飛ばしている。江ノ島で見るのとは大違いだ。これでまた足のダメージは溜まっていく。本来の三浦一周ならば剱埼の方に向かうのが筋であるし、今日のメインディッシュたる三角点てんこ盛りはこの辺に集中しているのだが、そちらの方には半島南端の尾根に向かう直登がある。とてもじゃないがこの足では(押しても)無理だ。ということでショートカットして城ヶ島へ。三角点はここにもある。一旦、大橋を下りきって港の方まで行って探してみたのだがどうやら今下ってきた山の上にあるらしい。とりあえず冷たい物を飲みとって返す。もう、どんな登りでも泣きそうになる。ある箇所をストレッチしようとすると別の所が攣るのだ。それでもGPSを頼りに進むと農道に入った。ほとんどシングルトラックである。しばらく進んで「この辺だ」と言うところは畑。中でおじさんが農作業をしている。
「あのー、すいませーん。この辺に、三角点…」
R0013956 と言い切らないうちに鍬で畑の中を指す。おお。あった。今日初めての三角点。しかし、私有地だしあのおじさんがいなかったらたとえ見つけても歯がみをするようだったなあと思う。
 撮影してお礼を言い、ようやく帰路に就く。既にして16時くらい。本当は三崎漁港で鮪でも食いたいといつも思うのだが、着くのが遅くて結局食えない。今日も朝からほとんどジャムパンとかリンゴパイ。
 幸いにして風は南西なので、ボロボロの足でもそれなりのペースが保てる。しかしながら三浦海岸からそうだったのだがこの渋滞は何とかならんのか。「観光地に来た」っていうより「渋滞にはまりに来」てるんじゃないかと思う。

 途中、去年気づいてからちょっとお気に入りの秋谷で日が大分西に傾いてきたので立石公園で撮影休憩。その名の通り「立石」が海にそそり立っていてちょっとした奇景。R0013970 そばにイイカンジのレストランも見つけた。
 いつもならこの先、R134を進むのだがちょっと気が変わって森戸の方に行ってみる。古い、風情のある店屋が並ぶ。再びR134と合流すると海岸沿いをまたも向かい風。厭になる。

R0013988  しばらく進むと「15670」という味も素っ気もない名前の基準点がある。すぐそばまでいったがそれらしき気配がない。とりあえず国道からワイヤーロープを越えて歩道に出てみると、保護石も何もないところにセラミックの丸い二等多角点があった。15個の筈が2個。淋しい限りだがまあ良しとする。
 海岸沿いの向かい風に嫌気が差したので若宮大路を右に逸れ、長谷観音に向かって左折、大仏に向かって右折。大仏坂を登っていたらハムストリングと下腿三頭筋まで痙攣しだしてしまった。ひどいもんだ。
 もう、19時近かったのでこの辺で夕飯でも、とは思ったが、ここで腰を落ち着けると根が生えてしまいそうなので止め、あとはひたすら無風~追い風の境川CRを北上。結局飯を食ったのはウチから歩いて5分の蕎麦屋でだったりする。
 いやー、それにしてもこのヘタレ脚で道志行かなくて良かったなあ。

 あ、そだ。今思いだした。先日からホイールを、SHIMANO DURA-ACE WH-7801-SLからMAVIC KSYRIUM SL(全損したGIANTに元々付いてきた)にしているのだが、こっちの方がスピードの乗る感じとかコーナリングラインのトレースとか全然いいなあ。

【おまけ】
R0013949
 城ヶ島の住宅街で見つけた飼い猫。やっぱりというか奇しくもというか名前は「ミケ」。なかなかこっちを向いてくれない。というより縄張り荒らしの野良猫に関心が向いてたよう。飼い主のおばさんによるとてんで意気地が無くていっつも負けてる、そうである。

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